HomeDiary

・マイ日記帳 ・介護一筋に… ・へるぱーさんへのお礼 ・義母の写真
・30日祭もまだなのに ・30日祭



マイ日記帳

2001/10/18 (木)

日記帳なるものを、借りてみた。
自分の日記帳さえ、滞っているのにネ…。

9月30日に義母が亡くなった、その前後の事を書き記しておきたい。
義母が居なくなった後の、心の動きも記しておきたい。
心と体がどうにも動かない状態から、どうやって抜け出していけるか、記しておきたい。

今日は、一日早い、20日祭。
それに合わせたかのように、伊東のおばあちゃん(以前のご近所さん)とヘルパーさんが来て下さった。
伊藤さんは、義母が亡くなった事を知らず偶然。。。
お義母さんが呼んだのかしら。                     

ヘルパーさんと話していたら、気持ちが揺れて涙が出そうになった。
一番大変な時を一緒に過ごして下さった方と、その当時の事を話すにはもう少し時間が必要かも。。。

午前中、腹痛と肩凝りで参った。。。(>_<)

介護一筋に・・・

2001/10/19 (金)

振り返ってみると、この数年は仕事も辞めて義母の介護一筋でした。
そうはしたくなかったし、そうしてはいけない、義母はいつか居なくなるのだからと思っていました。

でも、義母の病状の悪化に伴い、のめり込まざるを得なかったというのが事実です。
それには自分の性格や環境、在宅介護の為の諸条件が揃っていた それには自分の性格や環境、在宅介護の為の諸条件が揃っていた事もあるでしょう。

介護に、自分の生活の殆どを費やしていた事は後悔してはいませんが、それがぱったり急に無くなった今、自分のこれからがさっぱり見えません。

ある人は、ボランティアで介護に携わったら?と助言して下さいました。 家族以外の方の介護なら出来るって事もあるからと…。
その人は、介護もボランティアも経験はありません。
一般論として言われたのでしょうが、なんだかちょっぴり心に引っ掛かるものを感じてしまいました。

充実した日々を送れるようになるまでに、なんだかとっても時間がかかるような気がします。
もしかしたら、数年かも。。。。

今日は、市役所でいろんな手続き。
義母の障害者手帳、保険証、色々なくなっていく。。。
それも、また寂しいです。

ヘルパーさんへのお礼

2001/10/22 (月)

うちでは、社協から派遣された4人のヘルパーさんにお世話になっていました。
義母が入院した事は伝わっていたようですが、皆さんまた退院できると思って下さっていたようです。

入院した時点でケアマネさん(社協に属した)には、もう家に戻れることはないのでレンタル用品をお返しする旨は、伝えてありました。

電話番号がわかるヘルパーさんには、義母が亡くなった後すぐに知らせる事ができ、お通夜にも来て下さいました。
でも中には随分後で、ヘルパーさん仲間から聞いたと、訪ねて来て下さった方。
又、いまだに連絡がつかない方もあります。

やはり最後まで大変な時期に寄り添って下さり、お世話になったヘルパーさんには、直接お礼が言いたいものです。
社協にしても亡くなった事ぐらい、ヘルパーさんに伝えてもらいたいなぁ〜と思いました。
なんだかもどかしいです。

と言うわけで、明日は社協に支払いも兼ねて、連絡がつかないヘルパーさん宛の手紙を持って行こうと思っています。

義母の写真

2001/10/23 (火)

今日は、ケアマネさんとヘルパーさんが属している、社協へ最後の支払いと挨拶を兼ねて訪ねました。
皆さん、かわるがわる挨拶して下さる。
連絡のつかなかったヘルパーさんへの手紙も預けて来ました。

ついでに、私にも何か出来る事はないかと思い、ボランティア団体の一覧表をもらいました。
でも、介護系はもうちょっと後かな?

告別式の翌日、たくさん余ったおむつを携えて、お世話になった病院へ。
その翌日には介護用品、医薬品、ガーゼなど消耗品を携えて、訪問看護ステーションへ。
そして、ずっと往診をして下さった開業医さん、民生委員さん。
亡くなった後、病院からこのマンションへ義母が戻る事を承諾して下さった大家さん。
そしてご近所の皆さん等々、お礼と挨拶に回りました。

この地に移り住んで3年半、本当に色々な方達にお世話になりながら、在宅介護が続けてこられたのだという事がわかります。

ず〜っと親身になり付添いとして働いて下さったSさんが、夕方、お惣菜を持って来て下さった。
Sさんは、いまだに一週間に一度は、なんだかんだ持って訪ねて下さる。
今日は、9月の始めに撮った写真を持って…。

その写真を見ると、ちゃんと車椅子に座りカメラの方を見ている義母。
この写真の2日後、尿カテを入れ、いよいよ起きあがれなくなりました。
この頃は起き上がる事自体、相当苦痛のようでしたが、ポータブルトイレにはなんとか腰掛けていたのでした。
本当に、ぎりぎりまで頑張っていた義母でした。

でも、義母の状態が悪い時の写真は、見るのが、とても…、とても辛い。
もう、しばらくは見る事はないかも。。。
主人もちらっと見ただけで、あとは見たくないと申しました。


30日祭もまだなのに

2001/10/19 (金)


私って立ち直りが早いんだろうか?
それとも、単純なのか、冷たいのか…。

義母が亡くなってまだ一月も経っていないけれど、ちょっぴり元気になった私。
なんだか、それさえも申し訳ない気がするけれど。。。。

義母を看取った直後は、本当に体も心も動かず何も出来なかったし、寂しくて寂しくて風が吹いても、日が暮れても涙が出ていました。
自分が何をどうやって生きて行けば良いさえ分からなくなっていたのに。。。
ホント、私って…。

もちろん、最後の数カ月のことを思ったり、色々思い出すと辛くなるけれど、寂しさ悲しさとは別に、途方に暮れるような脱力感はなくなりました。
主人もふわふわした感じがず〜っとあったようですが、やっと元に戻ってきたと申しておりました。
主人は、私の脱力感については、ず〜〜っと強いストレス下にあったので、ストレス後症候群だろう、そのうち良くなるはずだと思っていたようです。
本当に、その通りでした。。。

これからは、自分の心と体のメンテナンスを少しづつしていき、心の充実をはかれるよう、又、心が成長するよう努力できたらいいな。

今日は、社会保険事務所にて、義母の年金について諸手続き。
その他の年金もあるけれど、これら手続きが少々面倒。
と、いうか、各種書類を取り寄せるのが、面倒です。
年金の種類によって書類も違うし、本籍が遠いので書類を取り寄せるのがとっても面倒なんです。

30日祭

2001/10/28 (日)


今日は、1日早い30日祭を主人と二人で行ないました。

10日祭、20日祭はまだ慣れないし、祝詞も読み間違えたり読み方がわからず「うっ!」って止まったり…(^_^;)
今まで儀式の時は、いろいろな事に気をとられ、悲しい感情が湧く暇がなかったのですが、今日はちょっと気持ちに余裕が出て来たのか、かえって二人とも、祝詞の途中で涙が出たり。。。。
祝詞の意味を考えながら上げると、よけい涙が出ました。

主人は、「だいぶ生々しさが薄れたね」と、申していました。
いろんな儀式や行事も、新霊様の為というより、私達生きている者の心の回復の為にあるようにも思われます。
そうやって、時が過ぎていくのでしょうね。

来月18日は、大事な50日祭。
そして、翌週24日は京都の墓地に納骨に行く予定。
それまでに、まだもうちょっと残っている義母に関わる諸般の雑事を終え、私なりの新しい生活を組み立てていけるかなぁ〜
まぁ〜、ぼちぼちでしょうか。。。

それより、関東オチャケ会と儀式が重なるかも知れない。。。
それが気になる不謹慎な私。。。(-_-;)

振り返るのは…

2001/10/31 (水)


ちょっと、1〜2年前の日記を開いてみました。
すると、骨折で入院した時の様子、付添いさんの事、リハビリの事等の記述が目に入りました。
5年日記なので、同じ日付けの今年の部分もどうしても目に入ってしまいます。
それを読むと、やっぱり亡くなる前の大変だった数カ月、だんだん悪くなる様子や、最悪の状態でも、会話していた義母の言葉が記されていて、辛くて読めませんでした。
まだ、振り返るには、まだ生々しいのかもしれません。

でも、義母の言葉や様子を本当に残しておきたかったと感じる、亡くなる1〜2ヶ月前からは、日記が書けなくなっていました。
時間がなかったわけではないのですが、なんだか、日記を書く心の余裕がなかったのです。
義母の様子が記憶からだんだん薄れて行く。。。
それも、辛い気がします。

義母が亡くなって、もう一ヶ月も経ちました。

実家の父が亡くなった時は、一ヶ月程、寝てばかりいました。
ちょうど暑い夏で、体もしんどかったのでしょうか。
中2の姪を預かっていて、私は寝てばかりいるくせに、姪には偉そうに指図していました。
今から思うと、なんだか私は変でした。
姪には、悪い事をしたと…。
私って。。。。

ああ〜〜、いけない、いけない。
なんだか、ネガティブになって。
楽しい気分、嬉しい気分には、自分でしなくちゃいけませんよね!

皆さんは、何をしている時が、楽しいですか?
楽しい時間、とれていますか?



ホーム日記目次最新日記





女の子お絵かき掲示板ナスカiPhone修理